書評:『フツーに方丈記』——無常の時代をどう生きるか

『フツーに方丈記』 著者:大原扁理

古典文学として知られる『方丈記』を、現代の感覚で読み直した一冊が『フツーに方丈記』です。
著者の大原扁理氏は、かつて東京郊外で年70万円以内で暮らす半隠居生活を実践していた人物として知られています。その後、台湾へ移住しましたが、コロナ禍で帰国。さらに両親の介護のため名古屋へ戻り、生活のあり方を改めて見つめ直すことになりました。

そんな折に読み返したのが、鴨長明による古典『方丈記』。
そこに描かれていた世界が、「まるで今の日本と同じではないか」と感じたことが、本書を書くきっかけになったといいます。

本書は、『方丈記』の内容を現代語で紹介しながら、現代社会を生きる私たちの暮らしや価値観について考えさせてくれる一冊です。


『方丈記』が語る無常の世界

『方丈記』を書いた鴨長明は、名門の家に生まれながらも父の死後に家督争いに敗れ、社会の中心から外れた人生を歩みました。
その後、自給自足に近い生活を送りながら思索を重ね、小さな庵で『方丈記』を執筆します。

彼が見つめていたのは、人の世の「無常」でした。

都が変われば、人の心も暮らしも変わる。
災害や社会の混乱は、人間の力ではどうにもできない。
人も、家も、仕事も、お金も、永遠に続くものはない。

そして最後に残る確かな事実は、
人はいつか必ず死ぬ」ということだけだと長明は語ります。

三メートル四方ほどの小さな庵で暮らしながら、自然や音楽を友とする生活。
世間に合わせれば窮屈、合わせなければ変人と見られる――そんな孤独の中で、長明は人生を見つめ続けました。


コロナ禍で見えた「小さな暮らし」

本書のもう一つの柱は、著者自身の体験です。

コロナ禍によって社会生活は大きく制限されましたが、著者はむしろ「暮らしが小さいほど生活の組み立ては楽だ」と感じたといいます。

料理、物流、医療――
普段は社会に外注していたものが止まると、多くの人が生活の脆さを実感しました。

社会に依存しているのは私たちだけではなく、
社会もまた私たちに依存している。

そんな相互関係を、コロナ禍ははっきりと浮かび上がらせました。

一方で著者の隠居生活は、意外にもパンデミックに強かったといいます。
最低限の生活を自分で組み立てられることが、心の自由につながるからです。


人間らしさとは何か

本書の中で著者は、「人間らしさとは何か」という問いを何度も投げかけます。

その答えとして挙げられているのが、想像力です。

役に立つかどうかで人を判断する社会に流されそうになったとき、
自分の中にも「小さなヒトラー」がいるかもしれないと立ち止まる。

そして、役に立つかどうかではなく、
ただ存在していることを受け止める世界を自分から始めてみる。

それが人間らしさではないか、と著者は語ります。


「今」を生きるということ

『方丈記』も本書も、結局のところ一つの問いにたどり着きます。

人は、どう生きればよいのか。

著者がたどり着いた一つの答えは、とてもシンプルです。

  • 遠い未来を心配しすぎない
  • 自分の手が届く小さな生活を大切にする
  • 毎日悔いのないように楽しく生きる

未来のために物を所有するより、今の時間を生きることを大切にする。

その姿勢は、災害やパンデミック、先の見えない社会を生きる私たちにとって、静かな指針になるかもしれません。


まとめ

『フツーに方丈記』は、古典『方丈記』を現代の言葉で読み直しながら、
不安定な時代をどう生きるかを考えるための本です。

800年前に書かれた物語が、
コロナ禍の世界や現代社会の不安と重なって見える――。

そんな発見を通して、
「今をどう生きるか」を静かに問いかけてくれる一冊でした。

※ 大原扁理氏の別の著作も以前書評を書きました。こちらもご笑読ください。『シン・ファイヤー

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