■ はじめに──なぜ今「両立思考」なのか
ウェンディ・スミスとマリアンヌ・ルイスは、パラドックス・マネジメント研究の第一人者であり、本書『両立思考(Both/And Thinking)』は、複雑な現代に必要不可欠な「対立する価値を同時に扱う思考法」を体系化した一冊です。私たちが直面する問題の多くは、二者択一で割り切れるものではありません。短期か長期か、安定か変化か、伝統か革新か──どちらも重要であるにもかかわらず、通常の思考では“どちらか一方”を選びたくなる。しかしそれこそが、成長の機会を奪い、意思決定を貧しくしてしまう。本書は、まさにその固定観念を揺さぶります。
著者らは、緊張関係(テンション)こそが創造性の源であり、人と組織を前進させる力になると説きます。テンションは不快ですが、同時に深い洞察の扉を開くものでもある。パラドックスは解決すべき問題ではなく、「永続的に共存する現象」であり、その扱い方を学ぶことが重要なのです。
本書は正直難解ですが、序文と各章末のまとめを丁寧に追いながら読むことで理解が深まります。「なぜ矛盾が生まれ、なぜ排除できないのか」「どのように両立へと向かうのか」を、理論と実例を交えながら丁寧に提示してくれる一冊です。
■ 第1部:パラドックスの可能性と危険性
第1部では、パラドックスとは何か、その力と危うさについて整理されています。著者らはパラドックスの核を「矛盾・相互依存・持続性」の3点と定義します。対立しているように見えても、両者は互いを必要としている。そしてその関係はなくならず、常に続きます。仕事でも人生でも私たちを悩ませる「ジレンマ」の背後には、この複雑な構造が横たわっているというわけです。
また、パフォーマンス・学習・組織化・所属という4種類のパラドックスを提示し、私たちが日常的に多層の矛盾に囲まれていることを明らかにします。特に印象的なのは、択一思考の危険性です。どちらかを選ぶことで状況が安定したように見えても、実際には問題を深めることがある。過去の成功パターンを強化しすぎると、やがてそれが失敗の原因になるという「強化の罠」も指摘されます。
本書が提案するABCDシステム──前提、境界、感情、動態性──は、この複雑な矛盾に向き合うための基本フレームです。特に“感情”と“動態性”を含めている点がユニークで、パラドックスを扱うには論理だけでなく、心の扱い方や行動の流動性が不可欠だと強調されます。理論でありながら実践の土台になる内容です。
■ 第2部:ABCDシステムによるパラドックス・マネジメント
第2部では、実際にパラドックスを扱うための具体的アプローチが紹介されます。ここで鍵となるのが、パラドックス・マインドセットです。自分の認識は全体の一部にすぎないと理解し、複数の真実が共存しうるという前提で物事を見る。この姿勢が、選択肢を広げ、創造性を高めます。
著者らは「コントロールからコーピングへ」という大きな転換を提示します。変化の波を制御しようとするのではなく、流れの中で学び適応することを優先する。その際に不可欠なのが、自分の感情を丁寧に扱うスキルです。不快感に耐え、距離を置き、呼吸し、視野を広げる──こうした心の技法が両立思考の基盤を作ります。
さらに、動態性(ダイナミクス)を高めることの重要性が語られます。ラピッド・プロトタイピングのように「まず粗い初稿を出し、試し、改善する」という姿勢は、矛盾した要求を扱う際に特に有効です。また、偶然のチャンスをつかむために、自らセレンディピティを生み出す環境に身を置くことも提案されます。
■ 第3部:両立思考の実践──個人・人間関係・組織で活かす
最終部では、両立思考を実際の問題解決にどう適用するかがまとめられています。まず、ジレンマを定義し、選択肢の背後に潜むパラドックスを見つけることから始まります。そのうえで問いの立て方を「どちらを選ぶか」から「どうすれば両立できるか」へ変え、データを検討し、対処法を検証します。このプロセスが、思考の枠組みそのものを柔軟にしてくれます。
対人関係では、衝突を“断絶”として扱うのではなく、双方の価値を把握し、むしろ対立を協働の糸口に変えるアプローチが紹介されます。組織においては、短期と長期、集権化と分権化、協力と競争など、常に競合する要求が発生します。両立思考の文化を組織に根づかせるには、高次のパーパスを掲げ、メンバーが共通の指針を持てるよう環境を整えることが重要です。
著者らは、両立思考を実践する組織は「動態的」であり続けると述べます。変化に対して自信と謙虚さを併せ持ち、状況に応じて柔軟に進む──これこそが、複雑な時代における強さなのだと強調します。
■ 全体のまとめ
『両立思考』は、対立する価値を「どちらか」ではなく「どちらも」と捉えるための体系的な思考法を提示した一冊です。
著者のスミスとルイスは、矛盾は排除すべき問題ではなく、創造性と成長の源であると強調します。本書は、パラドックスの構造を理解する理論編(第1部)、その扱い方の心構えとアプローチを示す実践準備編(第2部)、個人・対人・組織での応用を解説する実践編(第3部)という三層構造で、複雑な現代における“両立の技法”を丁寧に導きます。
思考を固定化させる択一の罠から抜け出し、矛盾を力に変える視点を得たい読者にとって、深く学びのある内容です。